式内 山国神社
Contents
概 要
社号 山国神社
式内社 丹波国桑田郡 山国神社
読み: ヤマクニ
所在地 京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1
旧地名 丹波国桑田郡山国郷
御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
例祭日
「還幸祭」
毎年10月の例祭「還幸祭」には、維新勤王山国隊の行進で賑わいます。 「京都の自然200選」のひとつに選ばれています。社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道 560座 大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
桑田郡(クワタ):19座(大2座・小17座)
式内小社
近代社格制度 旧府社
創建 宝亀年中(七七〇~七八〇)
本殿様式
境内摂社(祭神)
摂社 八幡神社 応神天皇(おうじんてんのう)
末社 春日神社 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
末社 蛭子神社 蛭子命(えびすのみこと)
飛地境内社 御霊神社 京都府京都市右京区京北比賀江町坊ヶ瀬40
一口メモ
南丹市八木町から北山杉の山中の車が通れる幅のまさに酷道というべき国道477号線で京北周山へ向かったが、本来のルートとしては、京都市街からは、周山街道/国道162号線で約20km、若狭と京を結ぶ道は、鯖街道といわれた。鯖に限らず、若狭湾でとれた魚介類を京の都に運んだ街道ですが、その一つが、小浜市から名田庄村を通り、丹波の美山町や京北町を経て京都市に入る周山街道。
右京区京北出張所のある京北上寺田で右折して国道477号線に入る。3kmで山国神社の案内板と社号標がある参道をそのまま右折すると100 m突き当り。境内右手に公園があり駐車できる。
歴史・由緒等
由緒略記
第五十代桓武天皇延暦年中平安遷都(七九四年)に当たり、大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ、此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ、祭主として和気清麿呂公(七三三年~七九九年)が奉仕せられた。
爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達する事が恒例となった。第六十七代三条天皇の長和五年(一〇一六年)神位正一位を贈られ、御祈願所として菊花の御紋章を賜り、春日、加茂、御霊、日吉の四社を建立して五社明神とした。
源平の兵乱に破壊されたが第八十七代四条天皇の天福元年(一二三三年)再建され第 九十六代後醍醐天皇、元弘の乱(一三三三年)に亦々破却されたが、足利尊氏の臣細 川頼之当地に隠棲する間、本社復興のことを執奏し、幸いにも応永六年(一三九九年)社殿復旧綸旨を賜る、この時足利義満(一三五八年~一四〇八年)丸に二引の徴章を奉納する、爾来この紋章を当神社の紋章とする。
その後第一〇七代後陽成天皇の慶長元年(一五九六年)再建され明治六年(一八七三年)郷社に明治三十三年(一九〇〇年)に府社に列格された、延喜式内の古くからの社である。
明治維新の際の官軍「山国隊」が出陣の誓いをなした社です。
境内・社叢
国道脇の案内 参道と社叢
鳥居 鳥居扁額
手水舎 拝殿
拝殿前の狛犬
本殿礼拝所 本殿
本殿と左の境内社 蛭子神社 蛭子神社
境内摂社 八幡神社
境内社 神官社宅、あるいは集落の集会所か?!
地名・地誌
地 図
京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1
周辺情報
山国護国神社 京都市右京区京北辻町清水谷10
参 考
「神奈備へようこそ」さん
0件のコメント